れうしあ読書日記

社会不適合系社会科学徒no

門松秀樹『明治維新と幕臣』

 

明治維新と幕臣 - 「ノンキャリア」の底力 (中公新書)

明治維新と幕臣 - 「ノンキャリア」の底力 (中公新書)

 

  明治維新と言えば、薩長土肥の志士たちによって成し遂げられたと考えられがちである。しかし、明治新政府を支えたのは、幕臣、それもノンキャリアの行政事務に当たっていた人々なのである。そういった普段光の当たらない人々に目を向けさせてくれる本著は、私の物事の見方を変化させるものであった。

 

 まず、江戸幕府の行政機構はどのようであったか。当初年寄を中心とした親政であった江戸幕府は、老中以下からなる官僚制を作り上げることとなる。そのもとで中央集権体制を確立していった。

 

 仕組みと同じく重要なのが人である。幕臣とは、旗本、御家人を指す。大名は地方政権のようなもので、お客様として扱われた。彼ら幕臣奉行所などで行政を担っていた。

 

 幕末になると、開鎖問題、将軍継嗣問題で国内は揺れることとなる。

 

   大政奉還後も、国内統治能力があったのは慶喜のみであったので、彼は実権を掌握するつもりでいた。それに対して新政府は王政復古の大号令を発し、慶喜の排除にかかる。その後、戊辰戦争にもつれ込むことになるが、その時、新政府は、幕臣朝臣となることを推奨した。これは、反政府活動を防止する目的であり、不足する行政組織を補う手段でもあった。幕臣にとっては主君を裏切ることになるわけだが、一般の武士は生活が苦しく、忠誠心よりも役人として食い扶持をつなぐことを優先する者が大勢であった。

 

  箱館では奉行が廃止された後、箱館府が設置された。箱館は交易地であり外国人も多く、外国掛の役人はその対応に迫られた。箱館戦争後、開拓使が設置されるが、そこでは奉行以来の役人たちが継続して行政を担った。

 

   廃藩置県が行われると、人材登用の自由は増し、奏任官、判任官において幕臣が占める割合は高まり、藩閥とも言われた。しかし彼らはあくまでスペシャリストとしての役割を期待されていた。さて、明治維新とは何であったか。チャールズ・ティリーの区分によれば、構成員の交代や政治的分裂が少ない状況のそれはクーデタに分類されるものである。しかしその社会的変革の大きさは特殊であり、例外的な「上からの変革」と言える。

松本光弘『イスラム聖戦テロの脅威』

 

  警察庁外事情報部長として外部の脅威と向き合ってきた著者が、イスラム聖戦テロについて書いた本ということで俄然興味が出る。日本の対テロ政策を考える上でも役に立つこと間違いない。なお、2018年11月現在、警察庁次長までご出世なさったようです。

www.nikkei.com

 

 第一部では、ジハード主義の思想と行動を概観する。

 シャリーアに基づく秩序を求める「イスラム主義」の中で、特に、米国はじめ西側世界の打倒を目指すものを「グローバルジハード主義」と呼ぶ。その思想的根拠となったのが、サイイド・クトゥブである。彼は、世界全体がジャーヒリーヤに満ちているとして、それに対するジハード論を説いた。

 ジハード団の理論的指導者であったムハンマド・ファラジュは、戦う敵はまず祖国の支配者であるとする「近い敵」論を主張していた。1979年、ソ連がアフガンに侵攻すると、中東の過激分子は義勇兵としてアフガンに集結した。その戦争が終わると、帰国組によりテロが拡散することとなった。湾岸戦争後、米軍がサウジ駐留するようになると、ビンラディンは反政府の姿勢を示し国外追放される。彼が拠点を移したのはスーダンであった。その後、タリバン政権の支援を受け、アフガンで地歩を固める。この間「近い敵」論は「遠い敵」論にシフトしていった。

 ジハード主義者にとってジハードは、イスラム統治が全世界を覆うまで続く攻勢である。その戦術としては、米国を挑発し侵略させ、ウンマを覚醒させ、長期消耗戦に引き込み、グローバルネットワークを構築し、軍事予算を破産させ自滅させる、というものである。

 

 第二部では、グローバルジハードの現状描写を試みる。

 アルカイダの思想とは、グローバルジハード主義とそれに基づくテロ戦略戦術思想、方法論である。その集団は、「本家アルカイダ」「アルカイダ星雲」「勝手にアルカイダ」に分けることができる。「アルカイダ星雲」はジハード主義諸グループ、「勝手にアルカイダ」はホームグロウンテロリストを指す。現下のテロ情勢を決定づけたのは9.11である。その後のイラク戦争はブローバックをさらに激しくした。

 テロリストは観衆を意識づけるため象徴的な攻撃を行う。アルカイダの反欧米普遍主義は白人至上主義やキリスト教原理主義マルクスレーニン主義とも類似する。その手段は、ハードからソフトへ、大量殺戮から小規模高頻度へ、西側改宗者のリクルート強化などの方向に進化を遂げている。パキスタンカシミール、東南アジア、アフリカなど多くの地域で過激派グループが生まれ、フランチャイズ化が進展している。一方、ヨーロッパで起きたテロの多くが「国産」の「一匹狼」によるものであった。ネット上で影響を受け「自己過激化」が起こり、改宗者も増えている。アルカイダが依拠するウンマには、「伝統的ウンマ」「想像上ウンマ」「仮想ウンマ」がある。特にインターネットは、通信や組織化の手段、プロパガンダの場、作戦の道具として有用となっている。

 セイジマンによると、参入者の出身階層としては、上中流階級で高学歴が多く、貧困層出身なのはフランス在住のマグレブ諸国人と西欧改宗者くらいとされる。また、ジハード参加は、社会的紐帯、イデオロギー受容、ジハード運動とのリンクという三段階からなる。根無し草化した心の隙間が宗教的権威に救済を求めるようになるのである。

 

 第三部では、グローバルジハードとの闘いについて考察する。

 

池内恵『イスラーム国の衝撃』

 

イスラーム国の衝撃 (文春新書)

イスラーム国の衝撃 (文春新書)

 

 池内さんと言えば、最近本出しまくってて、今更これ読まなくてもいいような気もするが、最も分かりやすい本はこれなのかな。ISに関しては既に掃討作戦が行われ、モスル・ラッカともに奪還されたが、そもそも何故ISが台頭することになったのかを把握することは重要であろう。

 

 

  ISが、イラク・シリアに跨って実効支配を得、カリフ制の復活を宣言したことは、近代国家に対する挑戦でもあり、世界に大きな衝撃を与えた。それをなし得た思想的要因にはグローバル・ジハード、政治的要因には力の空白が挙げられる。本書では、イスラーム政治思想史と比較政治学国際政治学の2つの視点から「イスラーム国」という現象について考察する。

 

 9.11以後の対テロ戦争の結果、アルカイダは大きな打撃を受けたが、組織構造を再編し、「組織なき組織」と呼ばれる分散型で非集権的なネットワーク構造でつながる関連組織の網を世界に張り巡らせた。世界各地のジハード主義集団に対してアルカイダフランチャイズ化を進めている。さらに、先進国においてはローンウルフが出現している。スーリーが提唱した「個別ジハード」である。

 

 イラク戦争における反米武装蜂起に参加した諸勢力の中で台頭したのが「イラクアルカイダ」であり、組織改編や改称を繰り返して「イスラーム国」となった。シーア派を異端視して宗派紛争を惹起するザルカーウィーの手法は、イラクを分裂させ、内戦を激化させ、国家再建を遅らせ、結果的にアメリカに打撃を与える、という点で効果的であった。

 

 2011年チュニジアに端を発する「アラブの春」後、中東に「統治されない空間」が生まれることとなった。イスラーム主義の穏健派が、急激に台頭した上で失墜し、その空白に過激派が台頭したのである。

 

 イラクは19県から構成されているが、スンナ派が多数を占める4県では、現体制に対する不満が露わになっている。イラクの連邦制と議院内閣制の問題は、議会が一院制で単純な多数決原理によって運営されており、宗派間の均衡を図る比例原則が組み込まれていないことである。ISがシリアにおいても領域支配の範囲を広げることが可能になった背景には、多数の武装集団が入り乱れて構想を繰り広げる状況を厭い、政府の無差別爆撃の脅威にさらされることを恐れる住民感情も作用した。

 

 ムハージルーンやアンサールといった規範の体系が、イスラーム教徒の間で広く受け入れられてることにより、一定数の個人が紛争の場に自発的に集まり、ジハード戦士の集団が結果として成立してしまうという現実がある。実際、IS戦闘員の半数は外国人だと言われる。彼らは宣伝のために、欧米人参加者もいるという事実を強調する。

 

 ISは特にメディア戦略に長けている。オレンジ色の囚人服をはじめ、高度な演出技巧が見て取れる。またそれをインターネットを利用して拡散するのである。

 

 中東秩序の形成は一次大戦後まで遡る。この時期のトルコ独立戦争は、サイクス=ピコ協定の拒否であり、それが多くの民族浄化・民族移動を招くことを示した。イラン革命以降はジハード主義の昂揚期である。湾岸戦争アメリカ支配による覇権秩序が意識され、反発も大きなものとなる。その後テロ戦争を経て、現在はアメリカは消極的な姿勢を示している。その場合地域秩序は流動化することが考えられる。

 

 

 テロを過剰に警戒し、西欧がこれまで築き上げてきたリベラルな秩序を壊してしまえば、かえってグローバルジハードの思う壺なのではないだろうか。反西欧的な思想は常に存在しており、かつてはそれを共産主義が担っていたが、現在はグローバルジハードが取って代わったと考えると、イスラーム思想は何かとんでもなく難しいものなんだろうなどと考える必要はなく、政治学の潮流の一場面として受け止めることが可能である。

ジョセフ・ナイ『アメリカの世紀は終わらない』

 

 アメリカはオワコンか?答えはノーである。そう語る著者ナイは、リベラリズムの大家であり、国際関係論を学ぶ者で知らない者はいないほどの人物である。彼の提唱する主なものとして「ソフトパワー」がある。ソフトパワーの源泉は、その国の文化、政治的価値、外交政策などである。これに関しては彼の著書『ソフトパワー』に詳しい。そうした彼が、ソフトパワーを絡めながら、「アメリカはまだまだ終わらねーゼ」と主張しるのがこの本である。

 

 第2次大戦直後には、アメリカ経済が世界の半分を占め、覇権国家と呼ばれた。しかし、それ以後シェアは低下し続けている。そのことからアメリカの衰退を叫ぶ者もいる。そうした意見に反対するのが著者である。著者は、国力を計るには、軍事力・経済力・ソフトパワーの三要素を考慮する必要があり、その上で、近い将来においてはアメリカが世界において重要な地位を占め続けるであろうと主張しているのである。

 衰退には、「絶対的衰退」と「相対的衰退」が考えられる。過去に存在した覇権国家はそのどちらかによって衰退していった。たとえば、ローマ帝国は、自らが持つ資源を実効性のあるパワーに転換する能力を失っていたために、小さなゲルマン民族の侵入により衰退した。一方で、大英帝国は、ドイツとの長期間にわたる争いや、アメリカ、日本などの強力な海軍を擁する国々の台頭といった対外的な要因、そして帝国内のナショナリズムの高揚が、イギリスのパワーを相対的に弱めた。現在のアメリカはどうだろうか。

 ヘゲモニーに挑む国として、ヨーロッパ、日本、ロシア、インド、ブラジルも考えられるが、どれもアメリカを揺るがす存在とは考えにくい。

 最も可能性がありそうなのが中国である。中国の経済成長は目覚ましく、あと数年でアメリカの経済力を追い越すとも言われている。しかし一人当たり所得ではアメリカの5分の1である。さらに経済成長に伴い、国民から政治参加の要求が高まることが予想される。また、軍事予算はアメリカの4分の1であり、グローバルに軍を展開する能力では劣っている。そして、ソフトパワーの面で米中には大きな差がある。アメリカのソフトパワーが市民組織由来であるのに対し、中国は政府がソフトパワーの中心機関を担うと考えている。自由主義のアメリカと権威主義の中国、どちらが魅力的だろうか。

 次に、絶対的衰退について検討する。アメリカの社会情勢の悪化は、ソフトパワーを弱めかねない。乳児の死亡率、平均余命、子供の貧困、殺人などの指標では多くの先進国の後塵を拝している。移民の急激な増加も社会問題になりうる。しかし、その移民は人口増加を支え、長期的にはパワーを強化しうる。教育格差や所得格差も問題である。市場主義である反面セーフティネットの小ささが問題である。さらに、政治面では、党派対立による政治の停滞が著しい。パワーの転換の効率性が重要であるが、合衆国憲法に規定された三権分立により、アメリカはもとより非効率的な設計がなされている。それでも改善している問題もあり、絶対的に衰退しているとは言えない。

 現在の大きなパワーシフトとしては、西洋から東洋へ向かう国家間のパワーシフトと、グローバルな情報革命の結果としての非国家アクターへのパワーの拡散が挙げられる。パワーが拡散した時代においては、一極、多極、ヘゲモニーといった言葉で表現するのは適切でなく、協力し合うネットワークこそが重要になる。そしてアメリカは、リーダーシップを執ってネットワークを組成する役割として、欠くことのできない存在である。

 全体的な評価としては、絶対的衰退とは言えず、相対的衰退という観点からも、これから数十年、アメリカはどの国よりも強力であり続ける公算が大きい。深刻なのは、「衰退」を口にすることが、結果的に他国に対して危険な政策を選ばせるよう刺激してしまうことである。優位性がやや後退し、世界が複雑化する中で、アメリカがその地位を維持したいと考えるなら内政でも外交・安全保障でも賢明で戦略的な選択を下すことが必要である。

真野俊樹『入門 医療政策』

 

入門 医療政策 - 誰が決めるか、何を目指すのか (中公新書)

入門 医療政策 - 誰が決めるか、何を目指すのか (中公新書)

 

 医療ドラマの影響から医療に興味を持ち始めたわけであるが、せっかくなら専門の政治学の領域から医療について考えてみたいなと思って手に取った。2012年8月に出版された本であり若干情報が古い。当時はまだ民主党政権である。医者であり、経済学で博士号も取得している医療経済学の専門家である著者が、これからの医療政策について提言するという本。

 

 近年、高齢化、技術進歩、保険普及、国民所得上昇、医師誘発需要、生産性上昇格差といった要因で医療費が高額化している。その事から著者は、

 ①国民皆保険をどのように維持するか
 ②公定価格である医療の価格決定をどう考えるか
 ③公的な要素がある医療の規制緩和の問題をどう解決するか
 ④医師数の問題をどう解決するか
 ⑤医療費の財源問題をどう解決するか

を医療の政策課題として挙げている。

 日本の医療の歴史を見ると、1961年に国民皆保険制度が確立して以降拡充が図られ、そのことが現在の医療費高騰による財政圧迫に繋がっているらしい。救貧的な選別主義から、普遍主義的な性格が強くなっている。

 医療は競合性と排除性を備えていることから、公共財であるとは言えない。しかし、その情報の非対称性から、政府の介入が必要な価値財と考えられているようである。そしてその価値の正当価格を決定することが非常に困難なことが医療の特徴である。それゆえ、単純に経済学を医療分野に持ち込むことは適切でないと述べられている。

 分析の方法論としての経済学だけでなく、医療を概念として支える他の学問の知見も活用することが求められている。という主張をしたいのだろうが、肝心な御本人の哲学や政治学の理解が不十分なのではないかという印象を受けた。二次文献からの引用が多い点も気になる。ここが本書の残念な点である。

 医療保障制度の類型としては、民間保険が中心の自助型、社会保険が中心の互助型(=治療モデル)、税金が中心の公助型(=公衆衛生モデル)に分けることができる。日本は、公的医療保険と税の混合であり、治療モデルでもあり公衆衛生モデルでもある。各国を医療制度で分類すると、

 ⅰ)ドイツ、フランスなどの産業政策としての社会保険から発生した医療保障制度を持つが、提供者の民営化を着実に進めている国
 ⅱ)北欧のように社会民主主義の国
 ⅲ)アメリカのように社会保障は残余的で、医療が完全に産業化している国
 ⅳ)新興国で医療保障が充実し、その維持のために医療を産業化している国
 ⅴ)新興国社会保障をあまり制度化できていない国

と分類でき、日本はⅰであるが、厚労省はⅱへの脱却を図ろうとしている。しかしその負担が大きいため現実的でなく、政府自体も明確なビジョンを描けずに混迷しているようである。 

 このモデルに対する選好は国内においてもアクターによって異なり対立がある。著者は、この対立の中で議論を深める必要があり、その過程において、様々な学問の知見を集約して、医療政策学という学問を確立する必要があると主張している。

 最後に①~⑤に対する著者の私見が述べられているが、話を広げた割には、あまり上手くまとまっておらず、消化不良になっている気がする。いきなりイノベーションを説き出して困惑した。結局何が言いたかったんだろう、、、

 

と、不満も残る本書であったが、これからの医療政策を考える上での問題やこれまでの背景について、基本的な事情すら知らなかった私にとっては学ぶものも多かった。これを機に医療についてより深く考えていきたい。

小野寺史郎『中国ナショナリズム』

 

中国ナショナリズム - 民族と愛国の近現代史 (中公新書)

中国ナショナリズム - 民族と愛国の近現代史 (中公新書)

 

 国際政治の世界でも、最近中国がメキメキ力を付けてるみたいなことを言われがちだけど、実際自分は中国のことよく知らないかもなぁ…という意識があったので新書でも読んでみようかと。

 その原動力としてナショナリズムが挙げられることがよくあるが、ではそのナショナリズムは中国において、いつどのようにして形成されたのか。それを、歴史を紐解きながら解き明かすというのが本書の目的である。言うまでもなく「ナショナリズム」という概念は西洋由来のものであり、その訳語である「民族主义」という言葉は日本語経由で中国に入っている。そもそも、現在中国が統治する地域には、華夷思想に基づく秩序が存在していた。 皇帝の支配の及ぶ範囲が天下であり、世界及び宇宙の中心であった。そこに他の価値観が入り込む隙はない。その秩序が崩れるのが、19世紀後半である。

 

 中国ナショナリズムの起源のひとつの形として考えられるのが、康有為による上奏文である。そこで彼は、中国王朝を唯一の文明とする伝統的世界観から、主権国家同士の条約に基づく西洋的な国際観への移行を主張した。当時、一足早く近代化を進めていた日本には、中国から多くの留学生が学んでおり、彼らが中国近代化の立役者となる。

 その一歩として起こったのが辛亥革命である。それは知識人主導の、上からの公定ナショナリズムであり、民衆・伝統・感情的な要素は切り捨てるものであった。そこに重要なファクターとして登場するのが日本である。第一次大戦時に日本が行った21か条の要求は、民衆の国恥意識を刺激し、暴力や感情的要素を含む民間主導のナショナリズムが加速したのである。そうした中で、近代化ナショナリズムと伝統を再評価するナショナリズムとの対立が生まれる。 

 対外排除の要請から国共合作が行われ、北伐が開始される。満州事変はますます中国の民族意識を高めることとなる。国民党は、儒教を近代的に改変し国民統合に利用することを図っていた。一方、共産党は、コスモポリタン共産主義でありながら、愛国主義国際主義の前提であるとしてナショナリズムを擁護した。

 抗日戦争が終わると、共産党が政権を握り中華人民共和国を成立させる。毛沢東による文化大革命では、民族主義や伝統文化は国家を腐敗させるとして否定された。

 その後、鄧小平による自由主義的な改革が進められ、現在に至っている。しかし、チベット少数民族による民族運動や、天安門事件のような民主化運動に対しては弾圧の姿勢を緩めることなく、民主主義や人権の考えを否定する論理としてナショナリズムが動員されるようになった。現在の中国は、ナショナリズムを統治の正統性確保に利用しながらも、ナショナリズムが制御の範囲を超えて噴出することには警戒している。さらに、西洋的価値が普遍的なものではないと批判する一方で、主張する国家主権の原則は西洋的価値にその基礎を置いており、独自の秩序の在り方を創出できていないという点で矛盾をはらんでいる。

 

 というのが、著者による歴史叙述であるが、偏ることなく整然としていて、簡潔で理解しやすいものであると思う。中華民国成立から日中戦争終結まで、特に国民党に焦点が当てられている印象で、現在まで続く共産党に関する記述は少し薄いかも。私が知りたかったのは特にその部分だったので、後半は少し物足りなさを感じた。